節分は本来、鬼や疫病神を祓う神社仏閣の儀式
巷のスーパーやコンビニでは、正月が過ぎると豆まき用の大豆や鬼の面、そして恵方巻など節分商戦が繰り広げられる。節分とは立春、立夏、立秋、立冬それぞれの前日をいう。なかでも立春は、新しい年の始まりとして重要視され、節分といえば立春の前日をさすようになった。2月3日頃がこれにあたる。
こうした季節の変わり目には鬼や疫病神などがやってきて、人々に災いをもたらすと考えられていたので、各地の神社や寺では追儺(ついな)と呼ぶ鬼を追い払う儀式が行われてきた。
室町時代にはすでにあった家庭での豆まきの風習
豆まきは追儺(ついな)の儀式が変化したもので、少なくとも室町時代には行われていた。今日では、炒った大豆を一升枡に入れ、一家の長または年男が、「福は内、福は内、鬼は外」と大声で言いながら、座敷や玄関、便所、井戸、蔵、氏神様等に豆をまきながら歩く。豆には魔物を追い払う呪力があると信じられ、豆を撒く時には窓や戸を開け放ち、豆撒きが終わると鬼が入って来ないように、すぐに戸を閉めた。
節分の豆は、自分の年齢の数だけ拾って食べると病気にならないとか、長生きするといわれる。
また、2月の初午(はつうま)に作る栃木の郷土料理シモツカレには節分の豆を入れる慣わしとなっており、なくてはならない材料としても知られている。
焼いた鰯の頭を柊や大豆の枝に刺した魔除け
鰯の頭を柊の枝や大豆の枝に刺して、戸口に挿す家もある。これをヤッカガシ(ヤイカガシ)という。鰯の頭を焼く時は唾をつけながら「八百万の虫を焼きます」などと唱えた。これも魔除けの一種で、悪いものが家の中に入ってこないことを祈った。
また、大豆でその年の天候や稲の収穫の良し悪しを占う「作占い」を行う家もある。
昭和時代の栃木にはなかった「恵方巻」の風習
今日、節分といえば「恵方巻」である。関西の風習が全国に広まったものといわれているが、詳細は不明である。ただ、私の知る限り昭和時代の栃木で恵方巻を食べたという事例は聞いたことがない。広く知られるようになったのはここ数十年のことであろう。
この風習で興味深いのは、節分の夜にその年の恵方(2024年は東北東)を向いて黙って食べると願い事が叶うことで、七福神にあやかって七種類の具材を入れるとか、福を巻き込むから巻き寿司を食べる、巻き寿司は鬼の金棒に見立てている、福が切れないように包丁で切るのではなくかぶりつくなど、数々の尾ひれを付けて自分たちの風習としてしまうあたりが日本人らしい。しかも民俗学的に見ても説得力がある。
節分に恵方巻は邪道だとの声が聞こえなくもないが、現代社会に合致したものであり、すっかり定着してきた日本の風習といえよう。クリスマスやハロウィンがそうであるように。
1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。