しもつかれについては、本コラムでも「しもつかれのこと」として2020年に紹介したが、その後農林水産省の「うちの郷土料理~次世代に伝えたい大切な味~」の選定委員、栃木県教育委員会の「とちぎの食文化調査研究委員会」の委員を拝命し、しもつかれについてあらためて考える機会を得た。そこで今回は、最新のしもつかれの事情について紹介したい。
家内安全や商売繁盛を願い、初午の日に稲荷様に供える行事食
しもつかれは、オニオロシですりおろした大根や人参、塩引きの鮭の頭、大豆などを鍋に入れて火を通し、柔らかくなったところに酒粕を入れて煮込んだ料理である。
今や店頭に一年中並ぶが、本来は2月の初午の日(今年の初午は2月12日)に各家庭で作られた行事食で、赤飯と一緒に稲荷様に供えて、家内安全や商売繁盛を願う。また「7軒のしもつかれを食べると中気(脳血管障害のこと)にならない」などいわれも多い。
時代とともに変化し続けるしもつかれ
しもつかれが作られるのは、栃木県を中心とする6県で、農林水産省の「うちの郷土料理~次世代に伝えたい大切な味~」によれば、栃木県の他に茨城県、群馬県、埼玉県、千葉県の郷土料理にもなっている(他に福島県でも作られている)。なかでも鬼怒川、渡良瀬川などを含む利根川水系の中下流域でよく作られ、鎌倉時代に編さんされた『宇治拾遺物語』には、炒った大豆に酢をかけた「酢むつかり」の記述が見られる。
しもつかれは時代とともに変化しており、江戸時代中期には大豆とすりおろした大根を酢で混ぜた料理を「すみつかれ」と呼んだが、江戸時代後期になるとすりおろした大根、大豆、酒粕などを混ぜて煮た料理も「すみつかれ」というようになった。両者は異なる料理にも見えるが、大根と大豆を使うこと、初午の日に稲荷様に供えることは共通しており、江戸時代に編さんされた『嬉遊笑覧』や『下野国誌』によれば、いずれもがその由来を『宇治拾遺物語』に求めている。
大根と大豆以外、具材や味はさまざま
千葉県野田市には、原点とおぼしきしもつかれを作る家がある。大根と人参をオニオロシですりおろし、水気をしぼってから瓶に入れ、そこに炒った大豆、酢、砂糖を入れてかき混ぜたもので、1週間ほど寝かせておくと大豆が柔らかくなり食べ頃になる。食味としては紅白なますに近い。これを「すみつかれ」と呼んで、旧暦初午の日に稲荷様に供える。
栃木県でも昭和40年ごろまでは「すみつかれ」、「しみつかれ」などと呼ぶ人も多く、江戸時代末ごろになると塩鮭の頭や人参、油揚げが入れられるようになった。さらに里芋、牛蒡、蒟蒻、竹輪、さつま揚げ、豆腐などを入れる家もある。そして、酢に代って酒粕を入れて煮込み、醤油や塩、砂糖などで味を調えた。
自由な発想から生まれる新しいしもつかれ
家庭によって味噌汁の具材や味が違うように、しもつかれにも塩辛いものあり、甘いものあり、酒粕がたっぷり入っているものあり、そうでないものありと各家庭の味がある。
しかも、酒粕はもちろん塩鮭の頭や人参でさえも必須の具材ではないことがわかってきた。大根と大豆、そして2月初午のころに手に入る食材を生かして作られた料理こそがしもつかれなのである。近年、「しもつかれブランド会議」などが、しもつかれの新たなレシピを提案している。固定概念にとらわれず、大根と大豆で思い思いのしもつかれを作ってみてはいかがだろう。
◾️しもつかれブランド会議のwebサイトはこちら
https://www.shimotsukare.jpn.com
1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。