1200年の伝統を誇る弥生祭
4月13日から17日までの5日間にわたって行われる弥生祭は、日光に春を告げる祭りとして知られている。日光二荒山神社の春の例大祭で、その起こりは平安時代に記された「満願寺三月会(まんがんじさんがつえ)日記」に求めることができる。これによれば、当初は6月に実施していたが、暑さが厳しいことから、弘仁12(821)年からは3月2日と3日に「三月会」として行うようになった。そして、明治5(1872)年の改暦以降は、季節的には従来と同じ時期となる4月となったが、名称は3月の異称である「弥生」の名が残り今日に至っている。
華やかな花家体が弥生祭の見どころ
祭りは、13日の神輿飾祭(しんよかざりさい)から始まる。神輿舎(しんよしゃ)に奉安された本社・滝尾・本宮の3基の神輿を本社拝殿に運んで飾り付けるもので、このうち滝尾の神輿は、翌14日に滝尾神社に渡御(とぎょ)し、そこで祭儀が行われる。15日は氏子大祭(うじこたいさい)、16日は滝尾の神輿を本社に戻す還御祭(かんぎょさい)、それを本社・本宮の神輿が境内で迎える高天原神事(たかまがはらしんじ)を行う。最終日の17日には、3基の神輿が本宮神社に渡御し、そこで祭典が行われる。本社にそれらの神輿が還ると一連の弥生祭は終了となる。
二荒山神社が行う「本祭り」と奉納行事「付祭り」
弥生祭は、これらの本祭り(ほんまつり)とあわせて、氏子による家体の献備や奉納余興、いわゆる付祭り(つけまつり)も必見である。なかでも16日と17日には、ピンクのヤシオツツジ(造花)で飾り付けた十数台の家体が日光の町中を巡行し、家体から奏されるお囃子が祭りに華を添える。そして、大鳥居に集結した家体は、先番当番町から順に境内に繰込む。
すべての町の家体が境内に参集すると、各町内への挨拶まわり(名刺交換)が始まる。頭役に引率された裃(かみしも)姿の行司2名が各町の家体に歩み寄り、自分の町名を記した大型の名刺を差し出して口上を述べ、挨拶を交わす。
日光弥生祭の終了を報告する手打ち式
その後、境内に設けられた特設の舞台で奉納余興が演じられる。本祭りの祭典が終了すると神明廻りが始まる。家体を本殿の前に進ませてお囃子を奉納するもので、これが終わると各町代表者が拝殿前で手打ち式を行う。そして、先番当番町から家体を神社から繰り下げて、それぞれの町に戻る。
古風なしきたりを継承する伝統行事
弥生祭の担い手は若衆である。挨拶や口上などに古風なしきたりがあり、江戸時代から続く組織や慣習、規律が守られている。祭礼の手順を違えるなど問題が生じると町内単位のトラブル、すなわち「ゴタ」となり、祭りの進行が滞ることがある。弥生祭が、別名「ゴタ祭り」とも呼ばれる所以(ゆえん)である。
コロナ禍により、弥生祭の付祭は2年続けての中止が決まった。清元(きよもと)や常磐津(ときわづ)を基本とした日光囃子(にっこうばやし)、年齢階梯(かいてい)による若衆制度、名刺交換などに見られる古風なしきたりが、今もなお継承されていることは全国的にも珍しい。一刻も早くコロナが収束し、祭礼が再開されることを願わずにはいられない。
※2021年は新型コロナウイルス感染拡大を考慮し、16日の「宵まつり」及び、17日の付祭りは中止。期間中、神職による神事のみ執行。
1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。