浄土思想から人々に広がった彼岸の風習。先祖の供養をして、わが身の無事成仏を願う
仏教の世界では川の向う岸を彼岸(あの世)という。煩悩や迷いに満ちたこの世の世界を意味する此岸(この世)に対する言葉で、生死の海を渡って到達する悟りの世界を指す。平安時代初期に編纂された『日本後紀』には「諸国分寺の僧をして春秋二仲月別七日(毎年春分と秋分を中心とした前後7日間に)、金剛般若経を読ましむ」とあり、この頃までには彼岸会の仏事が行われていたようだ。
今日、春分と秋分を「中日(ちゅうにち)」として、その前後三日間、あわせて七日間を彼岸という。このうち最初の日は「彼岸の入り」、最後の日は「彼岸明け」とか「走り口」ともいわれ、墓に水や花を手向け、先祖を供養する。なかでも「中日」は、太陽が真東から昇って、真西に沈む日であることから特別な日として意識された。
彼岸が人々に広まったのは浄土思想と関係が深い。このなかに極楽浄土は西方の遥か彼方にあるという教えがあるが、西の方向、すなわち極楽の方向がよくわかる彼岸に先祖を供養して、我が身の無事成仏を願うようになった。
この日、栃木市にある天台宗の寺院、「関東の高野山」、「日本三大地蔵」「日本三大霊場」とも称される高勝寺(俗称岩船山)には、関東一円から多くの参詣者が訪れ、岩場の斜面に卒塔婆を供え、線香をあげる。この寺のある岩船山の山頂に先祖の霊が降臨すると信じられているからである。また死者が生前身につけていた着物を地蔵に着せる人もいる。
彼岸の供物として欠かせない、あんこたっぷりの牡丹餅は何よりのご馳走
彼岸の供え物として欠かせないのが牡丹餅(ぼたもち)である。牡丹餅は、うるち米と餅米をおおよそ7対3に混ぜて炊いたものをすりこぎ棒などで半ごろし(つぶが残る程度にごはんを粗くつぶすこと)につき、俵型にしてからあんでくるんだものである。
農家では、茶碗にもった飯の上にあんこをのせたものも牡丹餅と呼ぶ。また重箱に飯をつめ、その上にあんこをのせた牡丹餅を親戚などに配る人もいる。栃木県ではブタモチなどともいい、盆や稲刈りが終わった節目などにも作られた。砂糖がたっぷりと入った甘い牡丹餅は、何よりのご馳走であった。
画像: 農林水産省webサイト「うちの郷土料理」より
(https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/31_21_tochigi.html)
季節の節目となる彼岸。一説では太陽に豊作を願う「日願(ひがん)」が起源
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、彼岸は季節の節目としても意識されている。また「ソバは彼岸の二十日前」とか「ソバは彼岸に刈るな。仏の足を切る」、「彼岸は夜わり仕事(夜なべ仕事)始め」など農作業にまつわる言葉も多い。豊作を太陽に祈願する「日願(ひがん)」が本来の起源であると解釈する人もいる。彼岸は豊作祈願や太陽信仰などと結びつき、仏事とは別の側面もあわせもった日といえよう。
1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。