『BONのとちぎ散策』 始まります!大田原市編の巻
はじめまして。『とちぎの住まいづくり』のお手伝いをさせていただいているカメラマンのBONと申します。新企画『BONのとちぎ散策』では、私が栃木県内を散策して気になる場所を紹介します!カメラ歴は30年くらい、散歩しながら気になったものをパチパチと撮影し、とちぎの知られざる魅力やみどころをお伝えしたいと思います。
さて、記念すべき第1回の散策はわが故郷、大田原市!スタートに選んだ場所は那須神社。杉並木の参道を行き、楼門を通り本殿にて『BONのとちぎ散策』の成功と無事をお祈りします。
大田原市は唐辛子の生産量が日本一
那須神社の隣には「道の駅那須与一の郷(みちのえきなすのよいちのさと)」があります。地元で取れた野菜などの直売があるのですが、驚いたのは敷地内に唐辛子が栽培されていました。大田原市は唐辛子の生産量が日本一らしく、最近話題になっているようです。
なぜか先日、私の祖父も唐辛子の話でテレビに出ていたのですが、祖父は唐辛子を栽培もしていないし食べもしません。テレビって怖いですね(笑)。
地元では有名な佐久山にある和気生肉店のコロッケが食べられるのですが、唐辛子が入っているものがあります。そんなに辛くなくて唐辛子が苦手な人でも食べられると思います。
那須与一伝承館
「道の駅那須与一の郷」内には「那須与一伝承館」があります。皆さん、那須与一を知っていますか?平家物語にでてくる「屋島の戦い」で扇の的を射落とす弓の名手です。
この那須与一伝承館には、「屋島の戦い」で扇の的を射落とす場面の人形劇が見られます。
平家の舟の竿に結びつけた扇を射落とせという、源義経の命令。現代ならばパワハラになるであろう命令に、与一は騎乗して海に向かいます。「南無八幡大菩薩」と祈ると波に揺れる扇は止まり、与一が見事に射落とすという話ですが、その時に祈ったのは那須神社の神様だという話です。
ちなみに私の祖先は与一の兄、那須十郎為隆(なすのためたか)らしいのですが、最初に扇の的を射落とす命令を義経に受けるのですが、断ってめっちゃ怒られたそうです。プレッシャーに弱く逃げ腰なのは遺伝なのかもしれません。他にも竹芸の展示もあったりします。竹工芸家で人間国宝の勝城蒼鳳(かつしろそうほう)先生は、10年くらい前に図録の撮影をさせていただいたことがあってとても気さくな方でした。
当時、自分で茶杓を削ることにハマっていたので、勝城先生に竹を上手く曲げる方法を聞いたことがあるのですが(今、考えるとなんと失礼な質問をしたのかと……)先生はていねいに教えてくださいました。
ランチは、hikari no cafe 蜂巣小珈琲店(ヒカリノカフェ)
お昼になったのでランチをしようと道の駅から車で10分ほど走ります。ここに、廃校になった小学校を利用したカフェhikari no cafe 蜂巣小珈琲店(ヒカリノカフェ)があります。
お洒落なカップルやマダムなどで混み合う中、一人で入りましたが案内されたのは『校長の机』! 童心に戻っても見た目は大柄のおっさん。私にはこの席が似合うと思って案内してくれたのでしょう。
「カフェごはん」と言うと、男性の私からみると洒落ているだけでたいして美味くもなく、量も少ないのにお値段高め(カフェに恨みがあるわけではないですが)的なイメージだったのですが、ここはすごいボリューム!
おなかもいっぱいになったところで次の目的地に向かいます。途中、黒羽の街の中を走っていると歴史を感じる建物が多くちょっとしたタイムスリップ感が味わえます。
黒羽藩主の大関氏の菩提寺
少し前にJR東日本『大人の休日倶楽部』のテレビCMで吉永小百合さんが撮影に訪れた有名な「雲巌寺(うんがんじ)」がありますが、私のおすすめは大雄寺(だいおうじ)!茅葺きが見事なお寺で、黒羽藩主の大関氏の菩提寺です。
ちなみに、ここには有名な幽霊の掛け軸があります。私は夜眠れなくなりそうなので実際に見たことはありませんが興味のある方はぜひ。(掛け軸は本堂にあり、春~秋に公開。屋内拝観は500円。事前に連絡すれば、見ることができるそうです)
個人的におすすめなのは十六羅漢像。道のあちこちに羅漢像がいます。
次は黒羽城址公園へ
そこから少し坂道を登ると黒羽城址公園があります。初夏には一面にアジサイが咲き、見事です。アジサイの季節でなくても展望台や能舞台、そして芭蕉の館という施設があったりして、見ごたえのある城跡です。
最終目的地の茶房城山(さぼうしろやま)
さて、今回の散策の最終目的地は黒羽城址公園のすぐ近くの「茶房城山(さぼうしろやま)」。
もうこの上ない幸せな気分になれます。ここではおやきもあり、お土産にもおすすめです。
1975年、栃木県大田原市で生まれる。中学生の時に親にカメラを買ってもらい、うまく撮れないことが悔しくて写真を撮り続ける。次第にカメラと写真の魅力に取り憑かれる。高校生になって憧れの写真部に入る。大会などにも参加して部長の地位を獲得。この頃には運動も勉強もできない私が進む道はカメラマンしかないと思い込む。高校を卒業し上京、東京ビジュアルアーツ写真学科へ。2年後、ギリギリの成績で卒業。その後、栃木県に帰り、印刷会社や写真スタジオのカメラマンを経て、2012年にフリーランスに。雑誌、企業広告、建築物、料理、商品撮影など、たくさんの人に支えていただき、今日もどこかで撮影中。