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茂木には世界的なサーキット「ツインリンクもてぎ」をはじめ、観光スポットもいろいろ (茂木・前編)

掲載日: お出かけ
茂木には世界的なサーキット「ツインリンクもてぎ」をはじめ、観光スポットもいろいろ (茂木・前編)
アメリカ版スーパーカブCA100

おいらの相棒、HONDAクロスカブ110

この記事を書いている今(4月中旬)、新しいホンダのフィットのCMで流れている曲、奥田民生の『And I Love Car』。ものすごくストレートな曲で、車が好きな人ならグッときちゃうはずです。

この曲の入っている『CAR SONGS OF THE YEARS』(2001)はその名の通りクルマに関係する曲だらけで、パフィーの歌っていた『サーキットの娘』の奥田民生バージョン、ユニコーン時代の『ターボ意味無し』など名曲だらけなのですが、そのアルバムに『ルート2』という曲があります。歌い出しは「“HONDA”がおいらの相棒」。そう、このフレーズどおり、久々に「“HONDA”がおいらの相棒」になったのです!

それは、ホンダ、クロスカブ110!

この散策を始めてからバイクで移動することにしているのですが、所有しているBMW(15年落ち)だと240キロの巨体を持て余してしまうんですよ。移動は県内だけですし。ちょっと気になっても先のわからない路地に入るにはそこそこ勇気を必要とします。以前から大型バイクとカブの2台持ちには憧れがありましたが、なかなか踏ん切りが付かず半年くらい迷っていたのです。が、買ってしまいました!クロスカブ!!

最初はチョイ乗りと取材用に、と思っていたのですが、乗ってみるとカブが世界で愛される理由がわかりました。ちょっと乗ってもよし。長く走ってもよし。積載量も文句なし。信頼性も十分で維持費も安く済む。

今では、明日は晴れるかな?〇〇までなら乗って行こうかな?など、日々の小さな幸せを探しに出かけたくなります。まさに『And I Love Car』の歌詞にどハマりなんです。(ホンダのCMだとハイロウズの『日曜日よりの使者』も絶妙ですね)

スーパーカブは誕生から約60年。(スーパーカブの前身カブF号からだと約70年)、生産台数は1億台以上!世界中で仕事やレジャー、多くの人に愛されて育ってきたのは伊達ではない。ということで、今回はクロスカブ に乗って「ツインリンクもてぎ」に行ってみましょう!

世界的にも珍しいサーキット「ツインリンクもてぎ」

入場ゲートではコロナ対策のため検温と消毒をしてからの入場になります。ホンダのサーキットは日本に2つ。1つはF1で有名な三重県の鈴鹿サーキット。そしてもう1つがここ、栃木県の「ツインリンクもてぎ」です。

「ツインリンクもてぎ」は1997年に完成、オーバルコース(楕円形のコース)とロードコースが併設される世界でも珍しいサーキット。とくにオーバルコースに馴染みのない我々日本人にとって初めて見たCARTはこれ。

丸いコースを走ってるのを観るのが面白いのか?と疑問を持っていた私はハンマーで頭をぶっ叩かれたような衝撃でした。ド迫力、大熱狂、大興奮!

しかし、東日本大震災の影響でコースに段差が生じてしまい残念ながら現在はオーバルの特徴でもある超高速レースは行われていません。しかし、併設されたロードコースでは世界最高峰のバイクレースMOTOGPが毎年行われています。

私も以前はイベントがあれば必ず行っていました。バイクや車のレースはもちろん、ミッレミリアのようなビンテージカーのイベント、ホンダの感謝祭、アエロバテックと言う飛行機競技や花火大会まで。多い時は毎週末、「ツインリンクもてぎ」に行ってました。

他にも、ホテルで宿泊したり、カートで走ったり子どもが乗れるミニバイクでタイムアタックできたりします。最近だと家族で遊べるアクティビティ、アスレチックやジップライン、キャンプやグランピングの施設があります。そんな素晴らしいサーキットを茂木に作ってくれたホンダには感謝しかありません。

FIの歴史に触れる!

ホンダのイメージは年代によって違うと思いますが、すべての年代で共通するのはF1だと思うのです。ホンダのF1参戦の歴史は古く1964年に参戦。F1はもちろんのこと、ホンダの歴史に深く触れられるスポットがホンダコレクションホールです。

当時のF1はスポンサーという観念はなくてボディーカラーはナショナルカラーホンダは白地(実際にはアイボリーに近い色)に赤の日の丸カラー。1965年には初優勝。1968年の撤退までを第1期と言われてます。私の年代だと第2期にドンピシャ(右の写真)。

1983年から参戦してあまりに強すぎるホンダのターボエンジンのため89年にはターボを禁止に。しかし、ターボ最後の年の88年には16戦中15勝という圧倒的強さ(勝てなかったのはイタリアGPのみ、ちなみに優勝したのはフェラーリのベルガー)。

ターボを禁止した翌年もホンダエンジンはとても強く、当時は勝つためにはホンダエンジンが必要と言われたほど1992年の撤退まで最強のエンジンを作り続けました。その後2000年から2008年までの第3期。そして2015年から現在に至る第4期とF1とホンダは切ってもきれない関係。

私はその第2期黄金期をリアルタイムで見ていたので、ホンダといえば「最強」と同意語。ホンダは正義でした。(私はナイジェル・マンセルと中嶋悟が好きでした。)中嶋悟のデビューマシンロータス99Tが展示されています。

ここには二輪と四輪、レースと市販車、など「乗り物博物館」的な場所で、私は何時間いても飽きません。

思い出の一車に出会える!

ホンダ車が中心ですが、国産外車問わず本当にたくさんの展示品があるのでどんな年代の人でも思い出の一台に出会えるはずです。かく言う私も、初めて買ってもらったバイクはホンダのNS-1というバイク。初めて自分で買った車は、ホンダの初代インテグラTYPE-Rでした。ビートもよく乗っていました。

ちなみに初めて廃車にしたのはホンダトゥデイ。カブを買うまではホンダを所有しない歴5年でした。(最後に所有したホンダ車はエディックス。いいクルマでした。)

閲覧室、ショップ、カフェも楽しい!

新型コロナウイルス感染症の影響でこの時は閉鎖されていましたが、閲覧室と言うコーナーがあり、車やバイクの雑誌などのバックナンバーが見られる夢のようなスペースです。本だけでなく懐かしいポスターなんかも貼ってあるので展示車両を見るだけでなく、この地味にすごいスペースもお忘れなく。本当に貴重な資料が見られます。

そして、お土産だけじゃない、ここでしか買えないグッズも販売しているミュージアムショップもおすすめです。ちなみに私のカブのキーホルダーはコレクションホール限定のものです。ほかにもいくつか面白い施設があります。

パドック内にもグランツーリスモカフェや売店があります。ここではいつもは家でプレイしているグランツーリスモが大きな筐体でプレイできます。今回はメインゲート近くのカフェレストランオークでハンバーガーをいただきます。平日で私以外のお客さんは1組だけでした。

城山公園は桜の絶景スポット

お腹も少し満たされたので、午後は茂木の城山公園へ行くことにします。茂木の町を見渡せる絶景ポイント、ちょうど桜も見頃で平日なので人もまばらです。城跡としてもなかなかの見応えです。

茂木城は茂木氏が築城しましたが、常陸国(今の茨城県)の佐竹氏に攻められて、その後従属します。やがて佐武氏から細川氏に変わった際に廃城となります。県境でもある茂木町なので、佐竹氏の支配を受けている城が多いのですが、この佐竹氏、あだ名と言うか通称があります。その名は「毛虫の佐竹」。

戦国時代には戦場で目立つことが重要で、武将が各々センスを発揮して馬印(有名なのは豊臣秀吉の千也瓢箪、さらに余談ですがひょうきんの語源になってます)や旗印(ほとんどは家紋ですが武田信玄の風林火山なんかが有名ですね)を考えます。それには飽き足らず兜で目立っちゃおうという人たちが出てきます。

頭の4倍くらいある長さの烏帽子型の兜(前田利家など)や、とんでもなく大きなツノをつける人(本多忠勝、井伊直政など)空気抵抗を全く考えていない一ノ谷兜(黒田長政など)、兜の上にもう一つ頭をつけたり(上杉謙信)、とにかく有名な武将ほど突拍子もない兜を所有しています。面白いので興味があったら調べてみてください。

そんななか佐竹氏の選んだモチーフは毛虫。毛虫は前にしか進まない(撤退しない)という験担ぎ。同じ意味でトンボ(勝虫)が有名ですが、問題はその大きさ。左右に兜1個分くらいの長さの毛虫(黒いもじゃもじゃ)が前立(兜の前の部分)についています。しかし、そのコミカルな見た目であだ名されたのではなく、勇猛な戦いぶりに恐れられた証しです。

地味だけどうまい、源太饅頭!

城跡を後にして町に行きます。そこで立ち寄るのは源太饅頭本舗。

かなり前になりますが、茂木の名物ってなんだろうと知人に聞いたところ、茂木といえば「源太饅頭」だろうと言われて、この饅頭の存在を初めて知りました。見た目はシンプルですが、食べてみると飽きのこない定番のおいしさです。今日はここでお土産用に2箱購入。

ミツマタの群生地へ

そこから移動して焼森山(やけもりやま)へ。焼森山は3月中旬から4月中旬にかけてミツマタの群生地が満開になります。車から降りて歩きますが、前回の大谷の多気山を思い出し、不安になりましたが、大丈夫!距離はそこそこありますが、ゆるやかな登り坂で私でも登ることができます。

群生地手前で焼森山ミツマタ保全協力金として200円を払います。少し歩くと森の中に一面のミツマタの花が咲いています。ミツマタとは名前の通り枝が必ず3本に分かれるそうです。なんと樹皮は紙幣の原料になるそうです。

人一人がやっと歩けるくらいの細い道にもミツマタが飛び出していて、しゃがんだり避けたりしないと前に進めません。スマホやカメラで写真を撮る人たちがチラホラ。ちょうど一番の高台に上がったところからミツマタの群生しているところを見渡せます。

そこから写真を撮っていると休憩中のおじいさんが「ここが一番ひらけていて絶景だね」と声をかけてくれました。聞いてみると近くの方でシーズン中、何度か足を運んでいるそうで、今はシーズン後半だそうです。3月の後半が見頃だったようで、一面が黄色い花で覆い尽くされるそうです。来年見に行く方は3月中がおすすめですよ。

道の駅の「おとめバウムアイス」も絶品!

少しお腹が減ったので「道の駅もてぎ」に寄ってみます。ここで有名なのはとちおとめのジェラート「おとめミルク」なんですが、期間限定で「おとめバウムアイス」がありました!さっそく頼んでみます。

ここの人気の秘密は、本物のいちごを目の前でアイスと混ぜてくれるところだと思うのですが、今回はバウムクーヘンも入って美味しくないはずがありません!いちごの新鮮なみずみずしい甘さと、ふんわりしたバウムクーヘンが絶妙なバランスです。ぜひ、期間中に訪れたら食べてみてください。

あと、今回は時間が中途半端だったので、食べませんでしたが、「もてぎのゆず塩ラーメン」もおすすめです。さっぱりしていてとてもおいしいので、ぜひお試しあれ。

(新型コロナウイルス感染症予防のため、現在、「ツインリンクもてぎ」も「道の駅もてぎ」も閉鎖されています。収束したらぜひ訪れてくださいね)


千本 義信

1975年、栃木県大田原市で生まれる。中学生の時に親にカメラを買ってもらい、うまく撮れないことが悔しくて写真を撮り続ける。次第にカメラと写真の魅力に取り憑かれる。高校生になって憧れの写真部に入る。大会などにも参加して部長の地位を獲得。この頃には運動も勉強もできない私が進む道はカメラマンしかないと思い込む。高校を卒業し上京、東京ビジュアルアーツ写真学科へ。2年後、ギリギリの成績で卒業。その後、栃木県に帰り、印刷会社や写真スタジオのカメラマンを経て、2012年にフリーランスに。雑誌、企業広告、建築物、料理、商品撮影など、たくさんの人に支えていただき、今日もどこかで撮影中。

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