生誕149年を迎える栃木県
6月15日は「県民の日」である。県民一人ひとりが郷土への理解と関心を深め、県民としての一体感のもと、より豊かなふるさと栃木を築き上げることを期する日として、昭和60(1985)年に制定された。栃木県と宇都宮県が統合し、おおむね現在と同じ栃木県が成立した日で、一部の文化施設やスポーツ施設、公園が無料開放される。また県庁では「県民の日記念イベント」が開催される※1。今年は、栃木県誕生149年を迎える。
多数あった県が栃木県と宇都宮県にまとめられた
幕末期の下野国(現在の栃木県)は、宇都宮藩、壬生藩、黒羽藩など11の本藩と彦根藩や佐倉藩など他藩の飛地、幕府領、旗本領、寺社領などが複雑に入り組んでいたが、明治4(1871)年7月14日(旧暦。新暦では1871年8月29日)廃藩置県が実施されると、すべての藩は府と県になり、政府の直轄支配下に入った。この時の下野国には、日光県、宇都宮県、佐野県など10県と他藩の飛地20県のあわせて30県が存在していたが、同年11月14日(旧暦。新暦では1871年12月25日)に統合され(第1次府県統合)、栃木県と宇都宮県の2県にまとめられた。
県令に鍋島貞幹が就任
このうち栃木県は、足利、梁田、寒川、安蘓、都賀の5郡と上野国(現在の群馬県)の山田、邑楽、新田の3郡を管轄区域とし、県庁は栃木町に置かれた。明治5年の資料によれば、87区、村町宿数は809、戸数は81,790戸、人口は38万8934人であった。県令(地方長官の名称)には、肥前藩(現在の佐賀県・長崎県)出身で、真岡県知事、日光県知事などを歴任した鍋島貞幹(幼名道太郎・後の幹、1844~1913)が就任した。
それに対して、宇都宮県は、芳賀、塩谷、那須、河内の4郡を管轄区域とし、県庁を宇都宮町に置いた。同じく明治5年の県勢は、7大区76小区、村町宿数893、戸数は42,064戸、人口は23万4124人で、当初県令は置かれず、明治6年からは栃木県令の鍋島貞幹が宇都宮県令を兼ねた。
栃木県と宇都宮県が統合して栃木県が誕生!
その後、明治6年6月15日に栃木県と宇都宮県が統合して、栃木県が誕生した。なお、上野国の3郡は明治9年8月21日に群馬県に移管され(第2次府県統合)、今日に至る。
統合された後の栃木県の県庁は、栃木町に置かれた。初代県令は鍋島幹が務め、産業振興に力を注ぐなど、近代栃木の基盤を形作った。鍋島は明治13年まで県令を務め、その意思は2代目県令の藤川為親、3代目県令の三島通庸へと引き継がれていく。
※1 今年、栃木県立博物館と栃木県立美術館は6月11日(土)、12日(日)、15日(水)が無料開放日となる。また、6月11日(土)の10時~15時には、県庁で「県民の日記念イベント」が実施される。詳しくは県のホームページをご覧いただきたい。
https://www.pref.tochigi.lg.jp/c01/education/bunka/ivent/kenminnohi.html
1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。