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文化と歴史

鹿沼の「録事尊(ろくじそん)大祭」

掲載日: 文化と歴史
鹿沼の「録事尊(ろくじそん)大祭」

中野智玄(録事尊)にまつわる話

鹿沼市下粕尾にある常楽寺(じょうらくじ)には、名医として知られた中野智玄(なかのちげん)、通称録事尊(ろくじそん)を祀る録事堂(ろくじどう)がある。当地には、録事尊にまつわる以下の話が伝えられている。常楽寺に伝わる縁起に基づいたもので、三つの話からなる。

ある時、智玄の一人娘が流行病にかかった。智玄はいろいろ手を尽くしたが、どうしても治すことができなかった。そこで、やむを得ず良医良薬を求めて旅に出たところ、帰るまでに娘の病は治ってしまった。不思議に思った智玄は、医術の奥義を究めるために娘を解剖し、死なせてしまった。それ以来、智玄と妻は仲が悪くなり、一家離散してしまった。

その後、智玄は後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)の病気を治し、朝廷より粕尾の地を恩賞として与えられ、「録事法眼」(録事尊)の号を賜(たまわ)った。

録事堂。鹿沼市下粕尾の常楽寺にある。常楽寺は真言宗豊山派。薬師瑠璃光如来を本尊とする。彼岸花が咲く寺としても知られている。

録事尊は雷除けの仏様とも

さらに、医者としての名声が高まった智玄の元に病気になった雷様が姿を変えてやって来た。智玄がお灸をすえて治してやると、雷様はたいそう感激して、智玄の名を聞けばたちどころに立ち去ることを約束した。

それ以降、粕尾では洪水や雷の被害がなくなり、録事尊は雷除けの仏様として人々の信仰を集めるようになった。また、医者である録事尊に病気平癒を祈る人もいる。石を借りて、悪いところに当てると病気が治るという。

録事尊絵馬。中野智玄(録事尊)が雷様にお灸をすえている場面が描かれている。録事堂で見ることができる。

2月11日は録事尊の大祭

毎年2月11日の録事尊の大祭には、檀家はもちろん、近隣の鹿沼市や栃木市、遠くは茨城県や群馬県で組織された講(同じ信仰をもつ人々の集まり)の代表者が集まって来る。そこでは護摩(ごま)が焚かれ、最後に雷除けの御札などをもらい受ける。これは、家の戸口にはりつけておく。

録事尊大祭の様子(2011年)。例年2月11日が録事尊の縁日である。
録事尊御札。家の戸口にはっておくと雷の被害にあわないという。

貴重な「巡行仏」の風習も

録事尊には「巡行仏」の習俗も見られる。粕尾の人々は、智玄とその妻、娘の霊を慰めるために、智玄を地蔵、妻を観音、娘を地蔵として仏を刻み厨子(ずし)に納めた。そして、智玄と妻の二体は中粕尾と下粕尾の家々を、娘は上粕尾の家々を順に廻っている。これらの仏は、1年半~2年の間隔で廻って来るが、到着すると、2~10日ほど家に置いておき、線香や茶、ご馳走を供えて、家内安全などを祈願した。ただし、智玄と妻は今でも仲が悪く、二体が一軒の家で出会うと、その家や地域に災いが起きるといわれる。

雷の多い土地に生まれた伝説

栃木県は、雷が多い地域である。雷は農作物に恵みを与える一方で、荒れ狂うと多大な被害をもたらす。なかでも、麻で生計を立てていた粕尾の人々にとって、夏の雹(ひょう)、雷は大敵であった。録事尊は、そうした地域に生まれた伝説である。また、巡行仏の習俗が残されていることも興味深い。

このような縁起や伝説は、多くの社寺に遺されているが、それらを紐解くことで、その土地の個性や日本人の神髄を見いだすことができるだろう。


篠﨑 茂雄

1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。

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