餅つき日と縁起
年末になると、どの家も餅を準備して正月を迎えたものである。かつては臼と杵で、その後は専用の餅つき機で餅をついたが、最近では出来合いの物を購入することが多くなった。それでも「一夜餅は良くない」という理由から大晦日に餅をついたり、飾ったりすることは避け、「29日は苦に通じる」ことから餅をつかない。
逆に「フク(福)につながる」から縁起が良いなどの伝承は広く聞くことができる。明治時代に狭間田村(現さくら市)の習俗を記録した渡辺清は、明治41年1月30日(旧暦12月27日)の日記に「正月愈々(いよいよ)近シ餅ツキ音アリ」と書いている(※1)。
餅つきにまつわる伝統に息づく習わし
芳賀町東高橋の農家では、12月28日に家族総出で餅をついた。この日は、深夜0時に起きて、大釜に水を汲んだり、湯を沸かしたりなど、餅つきの準備を始めた。そして、蒸籠に入れた餅米が蒸し上がったら臼に入れて杵でついた。その際に一回目についた餅はのし餅とし、2回目につく餅を供え餅とした(※2)。供え餅は大小2つの丸餅を重ねたもので、これを6、7個作り、一番大きなものは「鏡餅」(※3)として大神宮様に供えた。また、歳神棚、オカマ様、仏壇、井戸、便所、蔵など家の中の神仏にも供えた。そして、3回目以降についた餅は、胡麻餅、小豆餅、のり餅、豆餅、砂糖餅などの変わり餅とした。これらは蒲鉾状にのべて、固まる前に薄く切った。この日につく餅は、親戚や手伝ってくれた近所の人々にも配るので、餅米にして3俵、すべての餅がつき終わるのは、正午を少し過ぎた頃であった。
雑煮は地域性豊かな餅料理
のし餅は小さく四角に切って保存しておき、雑煮や汁粉、あんころ餅、焼いてから醤油やきな粉などをつけて食べた。このうち雑煮は地域性豊かな正月の料理として知られているが、栃木県では、大根や人参、牛蒡、ネギ、青菜など野菜をたっぷりと入れた醤油汁に火であぶった四角い切餅を入れる家が多い。これは家族で食べる他、正月三が日の神仏の供え物とした。そして、鏡餅は1月20日(※4)に下げて、あんころ餅や汁粉を作って、恵比寿様と大黒様に供えた。
※1: 渡辺家では正月には餅はつかなかった。こうした風習を「餅なし正月」と呼ぶ。餅の代わりに赤飯や芋を食べたが、同じような風習を持つ家や地域は全国各地に見られる。
※2: 臼や杵をよく洗っても、1回目についた餅には埃がついてしまう。そのため神仏に供える餅は2回目のものとした。
※3: 餅は神仏の供え物であり、依代でもある。心臓を象ったとされる丸い餅を大小2つ重ね、上に橙を載せる。なかには小豆で色を付けて紅白の二色としたり、三重に重ねたりする家もある。最近はインテリアにもなる陶製の鏡餅にも人気があるようだ。
※4: 今日、鏡餅を下げる日は1月11日(鏡開き)とされるが、かつては1月20日に下げた。この日は、正月行事の終わりの日であり、二十日正月(はつかしょうがつ)ともいう。恵比須講の日でもある。
1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。