美しい湿地、湖を望む戦場ヶ原
暑い日が続いているが、こんな日は日光が恋しい。中禅寺湖、華厳の滝、霧降高原など観光スポットはあまたあるが、忘れてはならないのは戦場ヶ原である。
戦場ヶ原は男体山の西、標高約1390mから1400mの平坦地に広がる高層湿原である。広さは約400ha、もとは男体山の火山活動によって作られた湖であったが、その後、土砂や水生植物の遺骸などが堆積して陸地化した。本州で最大級の湿原の一つで、平成17(2005)年には、湯ノ湖、湯川、小田代ヶ原などとともに「奥日光の湿原」としてラムサール条約登録湿地となった。
男体山の神と赤城山の神が戦った地
戦場ヶ原には、次のような話が伝わる。その昔、男体山の神と赤城山の神が、中禅寺湖の領有をめぐり争った。男体山の神は大蛇、赤城山の神は大百足(おおむかで)に姿を変えて戦ったが、やがて大蛇は劣勢に立たされた。そこで、男体山の神が、鹿嶋の神に相談すると「あなたの孫の小野猿丸(猿丸太夫)という弓の名手に頼んでみたらどうか」という。
決戦の日、加勢に訪れた猿丸が大百足めがけて矢を射ると、大百足の左目に命中し、大百足は退散した。その後、戦いのあった場所は戦場ヶ原、傷ついた大百足の流した血が落ちたところが赤沼、勝負が決まった場所は菖蒲が浜、猿丸が勝利に喜び歌い踊った場所は歌ケ浜と呼ばれるようになった。
小野猿丸の伝説も
鎌倉時代前期の『神道集』には男体山の神と赤城山の神が争ったことが記述されており、室町時代後期に成立した『日光山縁起』の下巻には、戦場ヶ原の由来譚が記されている。
これとは別に狩猟を生業とするマタギの間では、大百足を退治した小野猿丸(おののさるまる)こそが、マタギの先祖バンジバンザブロウと伝えられてきた。男体山の神は、勝利の褒美として、猿丸ことバンジバンザブロウとその子孫に全国の山々での自由な狩りを保障したという。戦場ヶ原の話は、世代や場所をこえて伝えられてきた。
雄大な自然から生まれた伝説
戦場ヶ原には、湿地をぐるりと囲むように自然研究路が整備されており、格好のハイキングコースとなっている。350種類にも及ぶ植物が自生し、野鳥の種類も多い。男体山を背景とした雄大な自然に、スケールの大きな伝説。ますます日光に目が離せない。
1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。