
かつて栃木の農村では、遠くからでもすぐにそれと分かる風景がありました。ゆるやかな曲線を描く大きな屋根――茅葺き屋根の家です。そこには、自然の恵みを活かす知恵と、地域の人々が力を合わせて暮らしてきた歴史が詰まっています。いまでは数が減りつつありますが、茅葺き屋根は栃木の文化や暮らしを語るうえで欠かせない存在です。
今回は、そんな茅葺き屋根をめぐる人々の営みをたどってみましょう。
屋根をつくる植物「茅」
屋根には茅葺き、瓦葺き、トタン屋根などがあるが、かつての農村でよく見られたのは茅葺き屋根の家である。茅はススキやチガヤといったイネ科もしくはカヤツリグサ科の草本である。このうちチガヤは高さ80センチ程、日当たりのよい場所に群生する。剣のように細長く尖った葉が特徴で、その強い生命力から邪気を払う植物としても知られていた。
村の共同作業「結」と茅の備え
屋根にのせる茅の確保は重要であった。そのため各集落には共有の茅場があり、葉や茎が枯れ、空気が乾燥した冬になると「結」と呼ぶ共同作業で刈り取った。そして、1週間ほど乾燥させたら、直径50㎝、高さ2mほどの円柱状の束にしておく。このまとまりを1把、それを6個集めたものを1駄というが、屋根の葺き替えには、200~230駄の茅を必要としたので、来るべき屋根の葺き替えに備えて、屋根裏などに茅をためておいた。
職人と地域の助け合いで守られた屋根
屋根の葺き方には、「さし屋根」と「丸葺き」がある。傷んだ茅を引き出して、新しい茅に差し替えるさし屋根に対し、丸葺きは屋根全体の茅を新しい茅に葺き替えることをいう。丸葺きの方が大がかりで、かつ雨が降ると家財道具が濡れるので、短時間に葺かなければならなかった。そのためには、カヤデ(茅手)と呼ぶ専門の職人の他に大勢の下働きが必要となるが、その役は集落の人々が担った。
栃木県には、毎年冬になると会津の茅手がやってきた。彼らは数人から十人程度の組を作り、作業中はその家に寝泊まりし、終わると次の家に向かった。そして、賃金は日当で支払われた。会津の茅手の多くは農家との兼業であったが、雪で農作業ができない季節のよい小遣い稼ぎとなったという。
受け継がれる技術とこれから
近年、茅葺き屋根の家が減ったことで、会津の茅手が出稼ぎに来ることはなくなった。茅手を生業とする人も風前の灯火で、技術の継承が危ぶまれている。そして、高齢化などもあり、茅を集めることも難しくなっている。しかし、茅葺き屋根の家がなくなったわけではない。チガヤの寿命は10年前後といわれ、その間は「さし屋根」でしのいでも、おおよそ30年に一度は「丸葺き」が必要となる。そのための費用は数千万円ほど。家1軒が建つ価格である。
あたり前の技術であってもいつの間にかなくなることがある。それが時代の変化と片付けるのは簡単だが、人々が長い時間をかけて培ってきた知恵は残しておきたい。ボランティアではあるが、茅の伐採や屋根の葺き替え補助の募集がかかることがある。興味のある方は気に留めておくとよい。
1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。








