害虫を呪術的に追い払う「虫送り」
日本には、長い歴史の中で形成されたさまざまな祭礼が見られる。しかし、社会状況の変化によって消滅したものも少なくない。日光市日蔭(ひかげ)の「虫送り」行事もその一つである。
「虫送り」は、田や畑に災いをなす害虫を呪術的な方法で追い払い、豊作を祈念する行事である。田植えの後や夏土用のころに地域単位で行うもので、西日本では「実盛(さねもり)」※1や「サバー様」、茨城県では「大助(おおすけ)」などと呼ぶ藁人形(わらにんぎょう)や虫籠(むしかご)などを作り、あるいは松明(たいまつ)に火を灯したり、鉦(かね)や太鼓(たいこ)を打ち鳴らしたりしながら集落を回ることで、集落に害虫が入ってこないことを願った。
※1) 篠原の戦いで、斎藤実盛は乗っていた馬が稲株につまずいて倒れたところを討ち取られた。その恨みゆえ、稲虫となり、稲を食い荒らすようになったという言い伝えがある。そのため、稲虫を実盛虫ともいった。
藁人形を作り、川や村境まで送る
日光市日蔭では、毎年旧暦6月1日に藁人形2体とカゴムシ1個を作って「虫送り」を行った。藁人形は高さ120センチほどの胡坐をかいた形状のもので、小麦藁を折り曲げたり、縄にして縛ったりすることで手や足とした。
そして、股には強さを誇示するための陽物(ようぶつ)、腰にはヌルデ(ウルシ科の落葉小高木)で作った刀を取り付けた。顔には目や眉、髭などを書いた半紙を貼り付けたが、侍のように勇ましく、かつ格好よく描くものだという。また、背中には「古峯神社(ふるみねじんじゃ)」、通称「古峯ヶ原(こぶがはら)様」の御札を篠竹にさして括り付けた。
大型の虫篭を藁人形の後に続いて運ぶ
一方、カゴムシは大型の虫篭(むしかご)である。桟俵(さんだわら)を底にして、近くに生えているカワヤナギ(オノエヤナギのこと)で周りを囲み、円錐状の形とした。そして、ジャガイモ畑からとってきた害虫(テントウムシなど)を新聞紙に包んで中に入れた。
完成した2体の藁人形は「イモムシモックリショ イモムシモックリショ モックリ モックリ モックリショ」の掛け声とともに、集落の上(かみ)に住む子供たちは上の境へ、下(しも)に住む子供たちは下の境へ運んだ。一方、カゴムシは男子2人が担いで、下の境へ向かう人形の後について運んだ。悪い虫は主に下(鬼怒川・川治方面)からやってくるからだという。最後に上と下のそれぞれの境に生える木に藁人形を縛りつけ、にらみをきかせることで悪いものが集落に入ってこないことを願った。そして、カゴムシを沢に投げ捨てた。
虫送りの行事は昔を伝える貴重な資料に
日蔭の「虫送り」は、昭和30年代には消滅し、これを境に藁人形が作られることはなくなった。栃木県立博物館では、この地に虫送りの風習があったことを後世に残すため、日蔭地区の老人会の協力で藁人形の復元を試みた。平成17年のことである。行事の復活は叶わなかったが、およそ50年ぶりに作られた藁人形は博物館の収蔵庫の中で今も生き続けている。
この藁人形は、現在開催中の企画展「収蔵庫は宝の山!」(令和3年6月27日まで)なかで特別に公開している。この機会にぜひご覧いただきたい。
1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。