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夢のあるまち「おもちゃのまち駅」

掲載日: 文化と歴史
夢のあるまち「おもちゃのまち駅」

玩具メーカーの工場が集まったまち

東武宇都宮駅と新栃木駅とを結ぶ東武宇都宮線には「おもちゃのまち駅」という、かわいらしい名前の駅がある。昭和40(1965)年に壬生町大字安塚に新設された駅であるが、駅前の広場には蒸気機関車や花時計がおかれるなど、その名にふさわしい夢のある空間となっている。

駅の開設は、工場の集団移転と関係が深い。昭和30年代の壬生町は夕顔(かんぴょうの原料)生産など農業を中心とした町であったが、高度経済成長期に入ると工場誘致の話が持ち上がる。町では、県や東武鉄道とも協力し、輸出用玩具メーカーの誘致を進めた。

当時、輸出用玩具メーカーは東京の墨田区や葛飾区などに散在していたが、地価の高騰や近隣住民との騒音問題などさまざまな悩みを抱えていた。また、低海抜地帯にあったことから自然災害の被害も懸念されていた。そこで、昭和30(1955)年、当時の東京玩具組合長で、トミー(現・タカラトミー)の創業者であった富山栄市郎は、国際化に供え、機械玩具の生産企業と関連企業が共同施設を有して団地化し、生産性を向上させようという理念から工場を集団移転し、工業団地を形成するという計画を立てた。そして壬生町への移転を決めた。昭和37年のことである。

おもちゃのまち駅前の花時計。
5号機関車。大谷石を運んだ宇都宮石材軌道などで使用された。鉄道模型で知られるトミー工業株式会社が栃木事業所敷地内で保存していたが、この地に移された。

おもちゃのまち駅が新設!

壬生町に工場が移転した背景として、広大な土地が確保できたこと、当該地域が工場誘致に積極的であったこと、周辺の農村から労働力が確保できたことなどがあげられる。昭和39年には、第二次世界大戦時に使用されていた国谷飛行場跡地に工業団地を造成し、翌年には11の玩具メーカーが操業を開始した。「おもちゃのまち駅」が新設されたのはこの時で、「おもちゃ工場の地にふさわしい夢のある駅になってほしい」との思いから、富山栄市郎の発案でこの名が付けられたという。おもちゃのまちでは、その後も工業団地の造成が進められ、昭和時代末頃には約65万㎡の土地に40あまりの輸出玩具工場が立地していた。

おもちゃのまち駅西口。獨協医科大学病院の最寄り駅にもなっている。

親子で遊べる施設が次々にオープン!

平成時代になると、輸出玩具業界は円高や少子化によって厳しい状況となる。おもちゃのまちで操業していた玩具工場の多くが生産拠点を海外に移し、代わって他業種の工場や倉庫が目立つようになった。当初の玩具団地としての役割は失われつつあるが、壬生町では平成7(1995)年に「壬生町おもちゃ博物館」を開館し、「おもちゃのまち・壬生」をアピールしている。また、平成19年にバンダイが開設した「おもちゃのまちバンダイミュージアム」は玩具好きの来館者で賑わっている。近隣には新しい商業施設もオープンした。童心に帰って街を散策するのもよいだろう。

壬生町おもちゃ博物館(2022年12月撮影)。

篠﨑 茂雄

1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。

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