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文化と歴史

篠塚稲荷神社(しのづかいなりじんじゃ)の初午祭

掲載日: 文化と歴史
篠塚稲荷神社(しのづかいなりじんじゃ)の初午祭
村周りをする飾り馬(2011年) 写真提供:栃木県立博物館

稲荷神社で祭りをおこなう日

2月最初の午の日を初午(はつうま)という。京都の伏見稲荷大社の御祭神が降臨した日といわれ、多くの稲荷神社ではこの日を祭日としている。

栃木県では、稲荷社に「しもつかれ」と赤飯を供えて、五穀豊穣(ごこくほうじょう)や商売繁盛を祈念する。また、佐野市田沼町の一瓶塚(いっぺいづか)稲荷神社など、著名な神社では、参道に多くの露店が軒を連ね、大勢の人で賑わう。

JR両毛線の思川駅から北方1㎞ほどの場所にある篠塚稲荷神社(小山市)では、毎年3月の第2日曜日(かつては旧暦2月初午)に無病息災、五穀豊穣、家畜の健康を祈念して初午祭を行う。その中心となる「飾り馬」と「流鏑馬」では馬が主役となる。

*2021年は初午祭は中止

篠塚稲荷神社(小山市大本)。正治2年(1200)、梶原景時(かじわらかげとき)の子、景則が小山氏を頼ってこの地に館を構えた折、「葛の葉」で知られる泉州(現在の大阪府)信太森稲荷明神の分身を勧請し、崇敬したことが始まりと伝えられている。※写真は2016年の初午祭の様子(以下同)

神社に馬を奉納する「飾り馬」

「飾り馬」は、色とりどりの布団や布で飾り立てた馬を神社に奉納する行事である。5段、もしくは7段に重ねた布団は、出産を間近に控えた氏子の家から持ち寄ったもので、これに赤子を寝かせると健康に育つといわれる。たてがみは網目に結い上げてから、ザンザと呼ぶ赤、白、黄、紺、緑の五色の紐をたらし、額に鏡や花簪(はなかんざし)を付けることもある。こうした姿は花嫁行列を彷彿とさせる。そして、布団の上には神への捧げものであることを示す金の幣束(へいそく。裂いた麻や畳んで切った紙を細長い木に挟んでたらしたもの)を突き立てる。

かつて馬は、氏子が住む大本(おおもと)、小薬(こぐすり)、松沼(まつぬま)の3つの地区から順番に選び、人、馬ともに7日間の精進潔斎(しょうじんけっさい。肉食を断つなどして身を清めること)を経た後に、飾り付けた。それから厄払いとして地区を巡行してから神社に奉納した。その際に馬の毛色が栗毛ならば晴れ、黒毛ならば雨が多いと占われた。しかし、現在は農作業が機械化されたことで馬を飼う家がなくなり、乗馬クラブから借りて行事が続けられている。

神社に到着すると馬の飾りが解かれ、ザンザは氏子や参拝の人たちに分けられる。これを持っていれば、夏の暑い日でも霍乱(かくらん。日射病のこと)しないと伝えられている。

色とりどりの布団で飾り立てられた「飾り馬」

馬上から矢を射る流鏑馬(やぶさめ)

身軽になった馬は、次に流鏑馬の馬となる。お祓いを受け、社殿から一の鳥居まで往復することで参道を清めた後、騎手が三つの的をめがけて矢を放つ。その際に一の的を射抜けば早稲(わせ)がよく、二の的ならば中稲(なかて)、三の的ならば晩稲(おくて)が当たるという。

一方、境内の神楽殿では、太々神楽(だいだいかぐら)が奉納され、祭礼を盛り上げる。かつては、地域を離れた人も帰省し、正月を凌ぐほどの賑わいだったという。

流鏑馬の様子。参道に設けられた的を射る。
神楽殿で行われる太々神楽。

神馬で農事の吉凶を占う

馬は神様の乗り物とされ、神社に馬を奉納し、祈願する習わしは全国各地に見られた。こうした馬を神馬というが、篠塚稲荷神社の「飾り馬」はその名残とされる。初午が過ぎれば、本格的に農作業が始まる季節となる。そうした節目に神馬を奉納し、馬の毛による天気占いや流鏑馬による農事の吉凶占いが伝承されていることはとても興味深い。


篠﨑 茂雄

1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。

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