
住まいは、ただの箱ではありません。そこには、その土地の気候や暮らし、人々の営みが静かに息づいています。栃木にも、時代を超えて受け継がれてきた家のかたちがあります。少し視点を変えて「間取り」を見てみると、この土地の魅力や知恵が、より鮮やかに浮かび上がってきます。
暮らしの変化と、住まいのかたち
高度経済成長期、東京や大阪などの都市部では1DKや2DKの集合住宅がいくつも建てられた。狭いながらも水洗トイレやガス風呂、ダイニングテーブルなどが完備されたこれらの住居は庶民の憧れの的だった。昭和50年代になると、欧米の人々からは「うさぎ小屋」と揶揄されたが、急増する人口と核家族化、欧米化に対応するには、理にかなっていたのだろう。しかしながら、お世辞にも豊かな住環境とはいえなかった。
風土とともに生まれた、日本各地の民家
家の造りや間取りは、地域の自然や経済、社会構造などと関係し、戦前は地域ごとに個性的な民家が見られた。例えば岩手県の曲屋、いわゆる南部曲屋は母屋と馬屋をL字型につないだ民家である。人間と馬が一つ屋根の下に暮らすことで、長く厳しい冬を乗り越えた。一方、九州ではコの字型やロの字型の民家が多い。理由は諸説あるが風水害から家を守るための工夫といわれる。
群馬県や山梨県では、寄棟もしくは入母屋造りの屋根の中央部に採光と通風のための窓を開けて、養蚕の作業場とした。そして、合掌造りで知られる白川郷では、屋根に傾斜をつけることで雪の害から家を守った。
栃木に残る民家と間取りの知恵
栃木県にも江戸時代に建てられた民家がいくつか残され、その一部は公開されている。このうち茂木町の羽石家住宅は元禄2(1689)の棟札があり、年代の明らかなものとしては東日本で最も古い民家の一つである。この地方の建立当初の形式を伝えるものとして重要であり、昭和43(1968)年に国の重要文化財になった。同じく重要文化財に指定されている三森家住宅(那須町)、岡本家住宅(宇都宮市)、荒井家住宅(矢板市)、入野家住宅(市貝町)なども一見の価値がある。
これらの民家の間取りを見ると半分が土間、もう半分が床上の部分からなる。土間は地面のまま、あるいは三和土(たたき)で固めた空間で、台所や風呂、馬屋などが置かれた。また、藁仕事や麻、葉煙草などの作業場となった。
床上の部分は、古くは3間(広間型3間取り)、後に4間(四間取り・田の字型)に仕切られ、食事や家族の団欒、寝室、来客の場として利用された。多くは東北地方など東日本の造りと共通するが、西日本に見られる分棟型の民家もあり、それぞれの特徴が混在している。

間取りは広間型3間取りで、囲炉裏は2つある。下囲炉裏は普段使い、上囲炉裏は来客用。こうした事例は栃木県の北部や東部に多い。
これからの住まいへとつながるもの
近年、少子高齢化、単身世帯の増加、外国人労働者の流入など家族のあり方は大きく変化している。加えて、テレワークやリモートなど生活のスタイルも多様化している。それに伴って、家の造りや間取りはさらに変化しているようだ。
1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。







