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文化と歴史

端午の節供。粽(ちまき)と柏餅(かしわもち)

掲載日: 文化と歴史
端午の節供。粽(ちまき)と柏餅(かしわもち)

こどもの日と言えば関西では粽(ちまき)、関東では柏餅。

5月5日はこどもの日。端午の節供である。「柱の傷はおととしの~🎶」でおなじみの童謡「背くらべ」の歌詞に登場する粽(ちまき)は、蒸した餅米やうるち米でついた餅のなかに餡を入れたものであろう。真菰(まこも)や笹の葉で円錐形や三角形に包んだものが一般的である。

その歴史は古く、承平年間(931~938)に編纂された『倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)』には「真菰の葉で包んだ米を灰汁(あく)で煮たもの」とある。円錐形は、人間の魂を意味しているともいわれ、邪気を払う食べ物として中国から伝えられた。関西では初節供の贈答品として親戚や知り合いに配られる。

『合本 守貞漫稿』(東京堂出版)より

一方、関東では柏餅(かしわもち)が欠かせない。江戸後期の風俗を記した『守貞漫稿(もりさだまんこう)』によれば、柏餅は「米の粉を練って円形状にして二つ折りにする。あいだに砂糖入りの小豆餡をはさみ、大きい柏の葉は一枚で、小さい葉は二枚使って二つ折りにして包んで蒸したもの」とある。こちらも節供の贈答品として配られた。

粽(ちまき)と柏餅(かしわもち)

子孫繁栄の願いが込められた柏餅。邪気を払う粽(ちまき)。

塩谷郡熟田村狭間田上組(現さくら市挾間田)の農民、渡辺清は、明治41年6月4日(旧暦5月6日)の絵日記に「諸家皆杵ノ音、而シテ柏餅ヲツクルニ忙シ、小児嬉々トシテ皆々柏餅ヲ持チ出シテハ食ヒ、持チ出シテハ食フ」と書いている。当時の清は16歳、普段なら口にできない甘い菓子に心を躍らせていた。

柏は新しい葉が生えるまでは、古い葉が落ちない。そのため子孫繁栄の願いが込められているといわれる。ほんのりと柏の香り漂う柏餅からは、初夏の訪れを感じさせる。

渡辺清絵日記 『氏家町史 史料編 渡辺清絵日記』(さくら市)より

端午の節供は中国の影響を受けた風習である。中国では5月は悪月とされ、5が重なる5月5日は特に忌み嫌われた。そのため、この日は邪気を払い、身を清める日とされた。

粽はそのための供物であって、あわせて他の植物に先んじて芽を出し、独特のにおいがある菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)を軒先に下げ、菖蒲湯につかったり、菖蒲酒を飲んだりした。

軒先に刺した菖蒲と蓬(日光市野門) 柏村祐司氏撮影。栗山地区では現在も旧暦5月5日に菖蒲や蓬を軒下にさして魔よけとする

この日が子ども(特に男の子)の祭りとして定着したのは武士の世になってからである。「菖蒲は尚武に通じる」と解釈され、武具や兜、いわゆる五月人形を座敷に飾り、中国の故事に習って鯉幟(こいのぼり)、あるいは勇猛な武者絵幟(むしゃえのぼり)を立てる風習が生まれた。そして粽や柏餅は子どもが好む菓子となった。

庭先で泳ぐ鯉のぼり

端午の節供は、現在の暦では6月中旬、梅雨の前後の疫病が流行しやすい時期である。邪気を払う日とは時代遅れに思えるが、こうした節目にいつもとは違う行動を取り、特別なものを食べて心身のリフレッシュを図ることは、現代にも通じると思う。


篠﨑 茂雄

1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。

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