
古も今も変わらぬ安産を願う心
「ハランダ」とは「妊娠をする」ことを表す栃木県の方言。「クセ」、「ハラミグセ」などと呼ぶツワリが見られるようになると、周囲の人にも妊娠したことがわかるようになる。妊娠やツワリは特別扱いとはせず、子が産まれる直前まで田畑で働いた人もいた。
妊娠中の女性の食べ物にはさまざまな言い伝えがあり、辛いものや酒を飲むことは禁じられた。また、兎の肉を食べると三ツ口の子が産まれる、タコやイカを食べると血をあらす、柿を食べると体が冷えるなどといわれた。また、便所をきれいにしておくときれいな子が授かるという。そして、火事を見ると赤い痣、葬式を見ると黒い痣のある子が産まれるといわれ、近くで火事や葬式がおこると、鏡を腹にあてておいた。
安産を願う腹帯祝い
妊娠五ヶ月目には、腹帯祝いを行った。産が軽いといわれる犬にあやかり、戌の日が選ばれることが多かった。腹帯は長さ6尺(鯨尺で約227㎝)から1丈(同約380㎝)ほどのサラシで、縁起をかついで7尺5寸3分(同約285㎝)の長さにする人もいた。また、葬式の時に使用した善の綱のサラシ(※)や夫の褌(ふんどし)を使うとお産が軽くなるという。
※「善の綱のさらし」とは、葬列の際に、棺につないで引くサラシのこと。

興雲律院で授けてくれる。妊娠五ヶ月目の戌の日に巻く。
そして、腹帯に「犬」や「寿」と書き、帯の間に安産祈願の御札を挟む人もいた。腹帯は嫁の実家から届けられることが多く、母親か夫、産の軽かった人、古くは仲人や産婆などに締めてもらった。そして、近親者に赤飯を振る舞って、安産を願った。
腹帯には、胎児の育ちすぎを防ぐとか、腹を冷やさないなどの目的のほか、子が宿ったことを社会に認めてもらう意味もあった。そこに、信仰的な要素が加わり、強いものや縁起のよいものにすがった。

栃木県の安産祈願の社寺
栃木県の中央部であれば、安産祈願は芳賀町下延生の城興寺、通称延生の地蔵尊(のぶのじぞうそん)で行った人が多い。もらい受けた御札は、神棚に上げておき、毎日ご飯を上げ下げした。そして出産の時は、産室の天井、ちょうど枕の上のあたりに御札をはっておくと、お産が軽くなるという。

御守を挟む竹に節があれば男の子、なければ女の子が産まれるという。
他にも栃木市岩舟町の高勝寺、茨城県桜川市の雨引観音(雨引山楽法寺)なども安産に霊験あらたかな社寺として知られている。
将棋の駒に託す安産祈願
日光市山内の滝尾神社の観音堂や興雲律院の三天堂には、将棋の駒が所狭しと並ぶ。駒は「香車」と決まっており、裏面には新生児の名前や生年月日などが記してある。妊娠した人は、ここから将棋の駒を一つ借りて持ち帰り、神棚などにあげておくと安産になるという。そして、無事に出産できたら、借りた駒よりも少し大きな駒を奉納した。
安産を願う深い祈り
いつの時代であっても安産への願いは変わらない。医学が発達していなかった時代はなおさらである。そこに込められた思いを読み解くことで、先人の知恵や願いを知ることができる。
1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。
