
蛇口をひねれば、いつでも水が出てくる。そんな当たり前の暮らしを、私たちは送っています。
けれど、かつては水を得ることそのものが、毎日の大切な仕事でした。井戸まで水をくみに行き、桶に移し、家まで運ぶ。風呂を沸かすにも、炊事をするにも、その水が必要でした。
栃木には、昔から人々の暮らしを支えてきた井戸や、今もこんこんと水が湧き出る場所があります。身近な「水」が、かつてどれほど大切なものだったのか。井戸をめぐる暮らしから、その一端を見てみましょう。
水を手に入れるのも、ひと仕事
水道の蛇口をひねると水があふれる環境に身をおくと、ついつい水のありがたさを忘れてしまう。しかし、そうした便利な世の中になったのは最近のことである。水は限りのある貴重な資源であって、昭和の終わり頃までは、井戸水や湧き水を飲料水や生活用水、農業用水として利用した。
井戸は、地表近くを流れる地下水を利用するために掘り下げた直径3尺(約0.9m)、深さ2~3間(約3.6m~5.4m)ほどの施設である。戦後に動力ポンプが普及するまでは、ガチャポンなどと呼ぶ手押しポンプのハンドルを上げ下げすることで井戸水を汲み上げていた。
さらにそれ以前、明治時代や江戸時代はハネツルベや車井戸が活躍した。ハネツルベは、棒の先端に水桶を付け、テコの原理を応用して水を汲み上げるものである。これは浅い井戸で用いられた。これに対して車井戸は井戸の上に櫓をかけて滑車を吊したものである。滑車につけた桶を上げたり下げたりすることで水を汲み上げた。こちらは少し深い井戸でも対応することができた。とはいえ、一回で汲める水の量には限りがある。そのため大量の水が必要な時は、水汲みを何回も行わなければならなかった。
水は担い桶に移してから天秤棒で家まで運んだが、風呂桶に水を満たすためには、家と井戸との間を何度も往復しなければならなかった。そして炊事に使う水は大きな甕にためておき大切に使用した。そのための桶や水甕は各家庭の必需品だった。

水が湧く土地、掘らなければ得られない土地
出流原弁天池(佐野市)や尚仁沢湧水(塩谷町)、喜連川の突抜井戸(さくら市)のように地下水が地表に湧き出る所もあるが、那須野が原台地のように水の便が悪い場所もある。こうした地域では、地面を掘れば必ず地下水に行きあたるという保証はなく、水の出そうな場所を探すことから始めなければならなかった。そして、深い井戸を掘る技術がなかった時代は、すりばち状に地表面を掘り下げてから井戸を掘った。こうした施設をマイマイズ井戸というが、地下水面が深ければ深いほど水を運ぶ苦労が大きくなる。
暮らしを支えた水に、祈りを込めて
人間は水なしでは生きてはいけない。そのため人の生死をも司る井戸には井戸神様や水神様をお祀りし、正月や12月1日のカワピタリ、お七夜などの一年や人生の節目にはお参りを欠かさなかった。先の熊本の地震では多くの人々が水で悩まされたが、そうしたなか昔ながらの井戸水や手押しポンプが活躍したという。あらためて水のありがたさを考えてみるのもよいだろう。
1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。








