
私たちが毎日当たり前のように使っているトイレ。清潔で快適な空間として進化を続けていますが、少し昔の栃木では、便所は単に用を足す場所ではありませんでした。農業を支える大切な資源を生み出し、人々の暮らしを循環させ、さらには神様が宿る場所としても大切にされてきたのです。今回は、栃木の暮らしに根付いていた便所の文化をたどってみましょう。
暮らしを支えた「外便所」
各家庭の便所は、ここ数十年で様変わりしている。便器は和式から洋式となり、水洗であることはもちろん、ウォシュレットや暖房便座も標準装備となりつつある。用を足すだけで健康状態がわかる機能の実用化も近い。
そもそも排泄物は川に流していた、これが厠(川屋)の語源といわれるが、中世になって排泄物が農作物の肥料になると、農家の便所は母屋近くの外に置かれるようになった。こうした便所を外便所と言うが、簡単な建物の中に穴を掘って甕を埋め、その上に板を二本渡したつくりのものであった。いわゆるボットン便所と呼ばれる落下式便所で、近くに桶や柄杓を置いて、風呂の残り水などを加えて発酵させるとよい肥料になった。


トイレットペーパーを使うようになるのは最近のことである。それ以前はちり紙や新聞紙、さらに時代を遡るとステギなどと呼ぶ割木や竹べら、藁、木の葉などで尻を拭いた。そして鹿沼の麻の栽培地域では短く切ったオガラも用いられた。これらは中には捨てずに箱に入れ、ある程度たまったら燃やした。
町と農村を結んだ循環のしくみ
排泄物から作った肥料を下肥(しもごえ)という。窒素やリン酸、カリウムを含む即効性の肥料として農家に重宝がられた。宇都宮北部のある農家は、市の中心部に7~8軒のお得意さんがあり、月に1~2回ほど排泄物を集めて回った。荷車に直径1尺、高さ4尺ほどの桶を12~13本載せて、運ぶ際には木のふたをしっかりと締めてから藁をのせ、中のものがこぼれないようにした。バキュームカーの前身である。
農家と町場のどちらにとってもメリットがあったのでお互い様ではあるが、農家では礼として米や野菜を持って行った。足りない場合は、排泄物の運搬を生業とする人から購入した。下肥は肥溜めに貯蔵しておき、必要に応じて田畑にまいた。

東京などの大都市では、排泄物を運ぶ専用の貨物列車や貨物船も活躍していた。
戦後になって、化学肥料が普及すると下肥を使うことはなくなった。それに伴って、肥溜めを見ることはなくなった。しかし、農作業で汚れた手足を洗うことなく用が足せる外便所は、現役かどうかは別にして現在も見ることができる。
神様が宿る場所
便所は、その深い穴からか異界への入口と信じられている。生と死の境であり、魑魅魍魎が蠢く空間といわれる。便所が怖いと感じる所以である。その一方で、便所は新しい生命を育む場所でもある。なにより下肥は植物に活力を与える。そして、その恵みを我々は取り入れてきた。
そのため便所の神様、いわゆる便所神には尊敬と畏怖の念を持って接してきた。便所をきれいにしておくとよい赤ん坊が生まれるとか、生後7日目のお七夜に子どもの無事成長を願って便所神に挨拶にいくのはその一例であろう。
1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。



