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文化と歴史

里芋の伝統と日常。栃木県民に愛され続ける、季節の味を堪能しよう

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里芋の伝統と日常。栃木県民に愛され続ける、季節の味を堪能しよう

いにしえより愛され続ける、栃木の里芋文化

芋といえば、関東や中部、近畿地方の人はまずは里芋、北海道や東北地方ではジャガイモ、九州など西日本ではサツマイモが思い浮かぶらしい。いずれの芋も日本の食卓に欠かせない食材ではあるが、ジャガイモとサツマイモが日本に伝来したのが1500年代の終わり頃なのに対し、里芋は縄文時代にまで遡ることができるので、日本人と里芋の付き合いは他の芋よりはるかに長い。

里芋は、東南アジア原産のタロイモの仲間で、暑くて湿潤な土壌を好む。したがって北海道など寒冷地での栽培は難しい。食感は違うが、八つ頭や京野菜として知られるエビイモも里芋の一種である。台地が広がる栃木県は、里芋の栽培が盛んな地域の一つで、令和4年の収穫量は7350t。埼玉県、宮崎県、千葉県、愛媛県に次いで全国5位である。

栃木の里芋料理と冬の保存食

里芋を使った料理といえば「煮っころがし」であろう。大根、人参、牛蒡、蒟蒻などと味がしみるまで醤油で煮付けた「煮しめ」もおかずの定番である。そして、「けんちん汁」や「豚汁」の具材にもなる。さらに茎の皮を剥いてから天日で乾燥させた「芋がら」は、煮物や吸い物、炒め物にして食べた。里芋は、冬の間の保存食としても重要であった。

けんちん汁

画像: 農林水産省Webサイト うちの郷土料理より
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/35_1_kanagawa.html

生岡神社の子ども強飯式

里芋は、年中行事や祭礼にも登場する。十五夜や十三夜には、月が見える場所に里芋を供えて、無事に収穫できたことに感謝した。また、毎年11月25日に日光市七里の生岡神社で行われる「子ども強飯式」の「御飯式に案内もん」という神事では、別当役が、太郎坊、次郎坊と呼ぶ強飯頂戴人に里芋を食べさせる。この時の強飯頂戴人の出で立ちやしぐさは何とも奇異で、見る者を楽しませる。

生岡神社の子ども強飯式(日光市) 
頭にメカイかごを被った強飯頂戴人は、別当役が差し出した里芋を目で追いながら口でかみとっていく。当地の御祭神である大己貴命と田心姫命が子どもたちに里芋を食べさせて飢えから救った故事にちなむ。

ご馳走としても儀礼としても正月に欠かせない食材

栃木県西部の足尾山間部では、正月になると「芋かん」を作って歳神様に供えた。芋かんとは、味つけせずに里芋、牛蒡、大根を煮たものである。茹でた里芋を串に刺し、味噌だれをつけて焼いた「芋串」も正月の御馳走であった。里芋には多くの子株、孫株がつくことから子孫繁栄の縁起物として食される。

栃木県の古い民俗事例を紐解くと、日光市や鹿沼市には、正月元日に一家の長が囲炉裏端で簑を着たまま里芋を食べる家があった。また、足利市のある家では竈の前で泣くまねをしながら里芋を食べたという。こうした家では正月に餅は食べない。そのため、稲作が普及する以前の儀礼を伝えるものと考えられている。

芋串

画像: 農林水産省Webサイト うちの郷土料理より
https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/31_4_tochigi.html

健康食材としての里芋

食物繊維やカリウムに富む里芋は、健康食品としても注目されている。数千年以上の長きにわたり、日本人に愛されてきた里芋、秋から冬が旬なので、いろいろな料理に活用してみてはいかがだろうか。


篠﨑 茂雄

1965年、栃木県宇都宮市生まれ。宇都宮大学大学院教育学研究科社会科教育専修修了。栃木県立足利商業高等学校、同喜連川高等学校の教諭を経て、1999年より栃木県立博物館勤務。民俗研究、とくに生活文化や祭り、芸能等を専門とし、企画展を担当。著書に『栃木民俗探訪』(下野新聞社)などがある。

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